宣明暦
●宣明暦(せんみょうれき)
=五紀暦の採用から間もなく、渤海国(ぼっかいこく)の大使をしていた烏孝慎(うこうしん)が当時、唐において使われていた「長慶宣明暦経(ちょうけいせんみょうれききょう)」を貢上(たてまつ)り、暦博士・大春日朝臣真野麻呂(おおかすがのあそんまのまろ)がこの暦を研究したところ、やはり優れた暦法であることがわかり、直ぐにこの宣明暦を朝廷へ奏請(そうせい)、862年に改暦されました。
確かに日食や月食の予報に優れ1年=365.2446日としており、五紀暦よりも精度は若干上がっていました。その後、宣明暦は1684年まで823年間の長きに渡って日本で使用されることになりました。
なぜ、この宣明暦の使用期間が非常に長く続いたのかと言うと1)暦が優れていたこと、2)暦道が世襲となって研究レベルが低下したこと、3)唐が滅亡し国交が断絶したこと、などが原因と考えられています。
宣明暦はそもそも、唐の徐昴(じょこう)が編纂した太陰太陽暦で、長慶(ちょうけい)2年(822年)~景福(けいふく)元年(892年)までの71年間、唐で採用されていました。
日本での使用は長きに渡りましたが、暦の推算と実際の天象の間に次第に相違(2日)が発生してきました。このことから改暦への機運が高まりました。渋川春海(しぶかわはるみ、後「保井」姓を名乗る)が作った貞享暦(じょうきょうれき)が1685年からは採用されることになったのです。
▼一太陽年=365.2446(3068055/8400)日
▼一朔望月=29.53059524(248057/8400)日
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