五紀暦
●五紀暦(ごきれき)
=大衍暦が採用されていた858年から文徳(もんとく)天皇治世の4年間だけ、日本で用いられた暦で、次の宣明暦(せんめいれき)に改暦するまでの移行措置的に併用された暦です。
1年を365.2448日とし、実は大衍暦よりも精度が落ちたものでした。これは唐の宝応(ほうおう)元年(762年)~23年間使用された暦法で、儀鳳暦と大衍暦の特徴を併せ持っていました。儀鳳暦からは定朔法や進朔、朔望月の数値などが採用され、大衍暦からは歳差が採用されました。
元々は遣唐使・内薬正羽栗翼(ないやくのかみはぐりのつばさ)により日本に招来されていましたが、暦学を研究する後継者がおらず、それから約60年も経って、暦博士・大春日朝臣真野麻呂(おおかすがのあそんまのまろ)が朝廷に試用について奏上したところ大衍暦との併用が実現したと言われています。五紀暦は唐の郭献之(かくけんし)らが作成した太陰太陽暦で「歳・月・日・星辰・暦数(れきすう)」の五紀を記したので五紀暦と呼ばれました。
一太陽年、一朔望月は儀鳳暦と同じです。
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