医と巫の分化

●巫とは

 巫(ふ)は通常「巫祝(ふしゅく)」とも呼ばれ、神霊との交信を行う媒介者あるいは祭祀祈祷(きとう)を行う者、呪術や方術を扱える者を指す言葉です。その起源は古くて、正に政祭一致(せいさいいっち)の時代において政事の中枢に登用されることがありました。巫祝は陰陽師、霊媒師、シャーマン、イタコ、ユタなど時代や地域により呼称も様々ですが、アニミズムにつながる思想(宇宙観)を背景に持っています。中国や台湾では現在、「巫」と言えば民間呪術者を指し示し、神憑りによって神意を伝える者は「童乩(タンキ―)」と呼びます。また、自ら出家し修行を積むことで方術や呪術、神霊界を自在に操る術を会得しようとする者を「道士(どうし)」と呼び分けています。

●医と巫の分化

 太古より中国では医と巫は未分化の状態にあって、商代中期になって漸く、医薬の知識が発展してきたと考えられています。これは出土した甲骨卜辞に疾病に関する記載が、数多く残されていたことから説明できます。甲骨卜辞は本来、卜術=預測学の類において導かれる判断の言葉(神意)を指しますが、この辞の中に「疾病が治るかどうか?」を預測したものが数多く発見されていたのです。疾病部位は頭、目、耳、口、歯、喉、鼻、腹、脚、足など細かく分類されており、病因は、1)天帝や祖霊が降ろす病、2)鬼神の祟(たた)りや災いによる病、3)霊蠱(れいこ)による病、4)気候変動による病等に分けられていたと言います。これによれば大概が非科学的です。その病に医学的、科学的根拠はありません。ですから、当時、病は凡そ霊的な存在との関わりから生じると見做(みな)されていたことがわかります。尤も、一部では薬物を使用するなど、治療も施されていたようですが、断然「巫祝」による祭祀祈祷が主となっており、正に医と巫の未分化の状態にあった訳です。ただ、こうした病への関心の高まりが、時間に紐づけた因果関係を突き止める動機づけになり、原初の医学がここに生まれることになるのです。そこから長い歳月を経て西周の時代になると医薬の知識はかなり進歩していきます。その証拠に巫祝と医師はそれぞれ異なる系統の官職を得たことが《周礼(しゅうらい)》に記述されています。

 当時は、1)食医(王室の飲食や衛生を管理した医)、2)疾医(内科医)、3)瘍医(外科医)、4)獣医(家畜の疾病の専門医)、などに医学も区別され、これも政事と結びつき、医政組織が作られたとされます。そして治療の成功率による階級、俸禄(ほうろく)制度も定められ、ますます発展への原動力となっていくのです。

●医易同源(いえきどうげん)

 巫祝の行う卜筮(ぼくぜい)の術とは、実は「卜」と「筮」という2つを包括した呼び方で、先の甲骨卜辞(こうこつぼくじ)を得るのが卜術であり、筮(竹)を立て未来を預測するのが、「筮法」「筮術」です。六爻(ろっこう)、断易(だんえき)、五行易(ごぎょうえき)などと呼ばれるジャンルの易学は、この後者の流れを汲むもので、こちらは人の病気や健康など人体についての預測を得意とするものです。易学には陰陽五行の理論が取り入れられていますが、五行自体は中国医学の漢方の考え方にも組み入れているので、その互換性(ごかんせい)が非常に高く、広く応用も利くものです。ここから医易同源と言う言葉が出てくるのです。

 現実的には中国医学は現在、西洋医学へシフトしているので、ほとんどその面影はなくなっていますが、民間レベルにおいては、まだ六爻や断易など預測学系による疾病の預測、未病(みびょう)の発見予防や、環境との関わりに病因を見つけ、習慣病の根源を断つなど利用価値が高いと評されています。

青川素丸 表参道の父

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