時計の語源

 時計の語源は「土圭(とけい)」とされます。これは《尚書(しょうしょ)・堯典(ぎょうてん)》に堯帝(ぎょうてい)の時期に土圭が創られたという記載があるのが最古の記述とされますが、現在の史学の認識としては、中国人の「土圭」の考案は紀元前7世紀以前、春秋戦国時代とされています。古く《周礼》には一種の日影を測る工具を「土圭」と呼ぶ記載があります。この土圭は正に日時計のことです。中国では最も古い計時儀器(けいじぎき)と位置づけられ、誰もが知る通り、日光によって地面に直立した棒の影が最も長くなる時が冬至で、最も短くなる時が夏至となります。つまり、二至二分を測る道具だったのです。古人は、この土圭を用いて一年を366日とし、殷・商の時代に、既に相当高い精度で干支紀日法(きじつほう)(暦法の一つ)を完成させていたようです。

 もっとも日時計は北極で観測すると、春分から秋分の間、影は右回りに円を描いて、秋分から春分は夜になるので影が出現しません。だから、日時計はそのエリア特有の起源をもつ時計だったと言わざるを得ません。そして、今現在、私たちが使っているアナログ時計の針が右回転に作られているのは、正にこの日時計の影が右回りに回転しているという古代からの記憶の名残とも考えられなくもないのです。

 さて、中国古代の土圭はどんな日時計だったかのでしょうか?《周礼・春官(しゅんかん)・典瑞(てんずい)》には「土圭以致四时日月」とあり、土圭から、四季や日、月の変化を読み取っていたことがわかるのです。また、《周礼・大宗伯(たいそうはく)》には「以土圭之法、測土深、正日景、以求地中。日南則景短多暑、日北則景長多寒、日東則景夕多風、日西則景朝多陰、日至之景尺有五寸、謂之地中」との記載もあります。これは「土圭の法」について述べられている件です。「測土深」とは、土圭の日影の長短を測ることで地上に長さを求めます。そして、夏至の日の影は一尺五寸あったと言っています。実は、日本で言う日時計は、正確には「日晷(にっき)」を指します。下図のようなグラフが描かれることで時間や季節がわかる仕組みになっています。

 古来「土圭」と呼ばれていたものは、現在中国では「圭表(けいひょう)」として認知されているものです。「表」は地上に直立した柱の部分を指し、「圭」は地面に描かれた定規部分を指します。太陽が南中した時の長さを利用し四季などを測る仕組みです。土圭が中国から日本に伝わった際に「時計」の字が当てられた訳です。

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