暦の必然性

 古人の「暦」の発想についてもう少し整理しておきましょう。なぜ昔の人達は、太陽や月の高度や天球での位置を正確に測定したいと思ったのでしょうか?勿論、測定する機械など無かったにもかかわらず、そういう思いにどうして駆り立てられたのでしょうか?

 実はこれに対する回答は至極簡単です。天体に関心を持たなければ、生きていくことができない時代があったからです。天体を知ることは生き残る術の一つでした。狩猟採集の生活や農耕生活において、自然の周期は非常に大切です。活動の時期を読み誤れば、労力を無駄に費すばかりか、食糧の調達すら叶わない結果を招きます。それは即ち死を意味します。逆に、多くの食糧の調達が叶い、保存する技術を持った人間は、社会において権力(パワー)を持てる状況が生まれました。だから古人は競ってパワーを得るため、生きるために自然を観察し始めるのです。それは恰も経済活動において相場リズムを計算・解析・予想しようとする日銭稼ぎの投資家と全く同じ意識であり、古人とは単に対象が異なるだけです。古人は緻密に自然を観察する中から、数多くの宇宙の規律を発見したことでしょう。古人の自然に対する執念は凄まじく、物事を比較し変化や差を見抜く眼識もありました。もっとも自らの命が懸かっているだけに、現代人とは比較にならない程、規律の発見にハングリーに挑んだことでしょう。暦は、そういった自然から発見された宇宙の規律の集大成であり、気づきのプロセスを秘めたモノであります。

〇気づきのプロセス

 人類は生きていく上で暦に関する幾つかの重要な規律に気づかなければなりませんでした。重要な規律に気づかなければ、安定した文明や社会を築くことができないからです。しかし、それは必然的な気づきのプロセスであったと私は考えるのです。遅かれ早かれ誰かが気づき、誰かがそれを規律にまとめて活用する、そういう導きは既に自然の中に用意されているのです。そのおかげで物理、化学、生物、地学など科学が発達を遂げることができました。自然の中には未知なるものが沢山あります。しかしその未知は全て解明するためにあります。その宇宙の未知なる暗号を解読してこそ、人類は進化の過程を歩んでいけるのです。しかし、その暗号を解読するには必ず観察が必要です。気づきが必要です。こうしたプロセスを経て、人類は宇宙を読み解くことが可能になるのです。さて、こうした気づきのプロセスの重要性から、私たちはどのように古人が宇宙観を形成してきたのか?まずそこに着目すべきです。いわゆる気づきの順序です。そこに宇宙と時間の謎が隠されていると私は考えるのです。古人の意識ベースから宇宙観を探る手法とは、原始人類が案じた天の仰ぎ方から、果してどんな宇宙の規律が見つけられるか?といったプリミティブなレベルから考察を試みるのです。それはとりもなおさず、ある個人が自分の中に宇宙観を体得していく過程にも似ています。人が生まれ育っていく発達段階において、どのように宇宙の認知構造を自分の中に築くことができるか?という観点と重ね合わせながら、古人の意識について考えてみましょう。

1)昼夜の別

 昼と夜の変化は、その気づきの最たる例であります。地球のどこにいようと太陽は昇って昼となり、太陽が沈んで夜となります。単に生活を送るだけであれば、夜になれば就寝し、昼になって活動すれば、それで何ら疑問すら抱かず、毎日そのサイクルに明け暮れれば良いでしょう。しかし、古く人類は非常に能動的に生きていました。もっと活動する時間を欲したりとか、もっと早く朝が来て欲しいとか、時間に対する欲求が働き、時間に対して大きな関心が抱かれたと推察されるのです。

 昼があり、夜がある。この陽と陰の繰り返しは当たり前ですが、それに気づく観察力は、次に昼夜それぞれの時間の長さへの関心に変わっていったはずです。昼と夜の長さはどれ位か?人は昼と夜の長さを計測するでしょう。これは陽と陰の物理的な発生というフェーズではなく、あくまでそこに存在する陽と陰への気づきの段階です。初めに古人が気づいたこととは、この陽と陰、つまり光の有無による昼と夜の違いでした。これは言い換えれば、陽陰を合わせて一サイクルとする、一日という概念の誕生です。

 ここで、仮にあなたが僧侶だと仮定しましょう。一週間、屋外の自然の景色を眺めながら座禅を組む修行に励んだとしたら、あなたの目に何が映るのでしょうか?見える景色は常に同じのはずです。だから、そこには光の変化しかありません。軽微な風はすぐに木々の揺れを戻します。鳥の囀りは心地よくも空しく消えてしまいます。あなたの心は初めは、自然の瑣末な変化ばかりを追うことでしょう。しかし、次第に雑念が滅却されることで、昼と夜という変化が意識中の中心テーマとなってくるはずです。それはなぜか?昼と夜が心に対して最も大きな変化をもたらすエネルギーだからです。昼は外に意識が向きますが、夜は内へと意識が向かうのです。昼は自らと外的価値との関係性、夜は自らの心理構造に意識が向かうという具合です。これは必然のなせる業です。肉体を動かさず、意識を動かす状況にあれば、自ずとエネルギーの方向が見えてきます。それだけではありません。自然のエネルギーが人類に及ぼす影響力、人類がエネルギーに翻弄されながらも生かされているという事実を認識できるでしょう。それがプラスとマイナス、陽と陰、外と内の別、昼と夜の別の気づきです。これが人類の原初の意識であり、この陰陽のリズムこそが、暦を最初に作り出そうとする原動力であったと考えられるのです。

2)夜に起きる変化

 次に人類が気づくであろう変化。それは夜に出現する月の見かけ上の変化(盈虚)だったはずです。昼に出現する太陽の形はまぶしくてよく見ることができませんが、よく眼を凝らし見ると、いつも真ん丸の形をしています。その形に変化を見い出せるはずもありません。なのに一方、夜の月の見かけの形は明らかに毎日変化し続けます。その変化は陽の中にではなく、夜空という陰の中に見い出されるのです。人類はおそらく陰の中の変化から、次なる宇宙観を展開できたと考えます。それは、なぜでしょうか?

 それは、昼間の太陽の光が強すぎて、他にもある存在を圧倒的な力量の差(相対的な力の差)により消し去るからです。それに対し、夜は陰とは言え、月という強い光が一点存在します。天球全てが一様な陰ではないのです。しかも、よく見れば、月のみならず他の星とも共存、調和し合っています。相対的位置と関係性が明確な状況が陰の中に存在するのです。もし陽の中の変化に人類が気づかされる状況がなければならないとすると、おそらく太陽は陰のものでなければならなかったはずです。白く輝く天空中に光が無い存在が一点だけ存在し、それが天空を動き、さらに満ち欠けしていたなら、人類は昼の中にも変化を見い出せたはずです。それも陰の中よりも先に陽の中で見いだせたはずなのです。でも現実にはそうはなっていません。

 話を元に戻しますが、月の満ち欠けが日毎に進む様子は、やはりどういうサイクルで動いているのか、誰が動かしているのか?と原始人類は不思議に感じたことでしょう。この月の満ち欠けのサイクルは、潮汐という形で水への影響力を感じさせ、かつある特定の動植物、さらに人の肉体的精神的にも大きな影響を及ぼしてきたことから、月もまた偉大な天の存在として意識されたはずです。しかも、人の心理を内側へ向けるエネルギーがあることから、この陰の中の月の変化は、人類にとって看過できない重要なリズムと認識されたはずです。

3)昼に潜む万物の変化

 時を同じくして人類は次のように感じたはずです。それは夜に月の変化があるなら、昼の太陽にも何らかの変化があってよいのではないか?と。太陽の形には変化は見られなくとも、太陽もまた東に昇り西に沈む。月もまた東に昇り西に沈む。こうして陰での変化から、陽における変化にまで意識が及んだはずです。つまり、次の着想として太陽の動きに関心が集まるのは必然でしょう。地平線のどの位置から太陽や月が昇るのか?太陽と月でその位置は違うのか?相対的な位置関係などがテーマになるでしょう。そして、よく調べると太陽にも様々な変化があることがわかってきます。昇り始める位置と沈む位置が毎日ちょっとずつズレていきます。観察の誤差ではなく位置そのものが変化します。それだけではないです。間接的ですが、物の影の長さが毎日変化していきます。そして、太陽の出没の時間帯に他の天体との位置関係が把握できるという事実にも気づくはずです。さらに、位置関係も毎日、少しずつズレていることにも気づくでしょう。日々の極僅かな太陽の変化から気づくこと、それは太陽の運行する軌道と、季節の変化との関係性なのです。

4)四季の変化からその指標へ

 太陽の他の星との相対的な位置関係や出没位置のズレは、小さなものですが、人類はこのズレと季節との関係に気づくのです。勿論、これに気づくためには太陽の出没時間と位置、それに伴う自然現象を定期的に観測していることが不可欠です。否人類はそれだけでなく、気温との関係にも気づいていました。ここに一年を周期とする天体循環と気温循環(四季)の概念、さらに両者の相関関係が意識されます。気温や季節の移り変わりは、自然の動植物から察することが可能で、これが循環する四季の概念として定着するのです。そして動植物の詳しい観察を経て、生物に様々なエネルギーが関与していることも分かってくるのです。細かく観察すればするほど、太陽活動と生命活動を司るエネルギーとの関わりが、意識的に深まり、太陽が生物にとって大いなる存在であることを実感するのです。

5)季節を知る術と天体サイクル

 次に、人類は太陽と星との相対的な位置関係を細かく分析しなくても、1年という周期の中の現在時間を知る方法を編み出します。尤も季節を知るには、気温や天候、特定の動植物の変化から知ることもできますが、それを規律正しい天の変化に求めるならば、何を根拠に季節を判断すれば良いか、古人は考えるはずです。

 これまでの話から、人類は既に太陽と天体との相対的な位置に対する理解を深めているので、他の星の位置にも関心は及んでいるはずです。昼と夜の位置を比べるのは難しいまでも、夜の星の位置を定刻に観測する技術はあります。そして、観測によって天空に動かない星があることを知るでしょう。天球上で唯一つ動かない天体(星)です。太陽も月も天空を動くのに、全く不動の偉大なる存在。人類は恐らく、この動かない星をあらゆる星の基準にすべきと発想するでしょう。不動の星を中心として近い星を結ぶ線を意識し、さらに天球上の太陽の運行軌道も意識できるならば、太陽の運行軌道上(天球)を星全体が一年かけてゆっくり移動する回転イメージができるのです。この回転からどの季節にどの星がどういう位置にあるか?その規則性さえ発見できれば、一年の中での今の正確な時間(位置)を即座に計算できるのです。ここに円環配列された地支(方位)と時間の関係、エネルギーの様相から地支と五行の関係など、新たな規律が認識されることになるのです。

 古くから人類はこうした自然や天からの気づきを受けることにより、天体運行と自然現象の相関関係を正確に記述できるようになってきました。これが暦の発想の起源と言えます。そして、恐らく人類にとって暦の作成は必然的な作業であったに違いないのです。

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