時間の魔力に囚われる人類

 拙者はこれまで、天体の運行による時刻概念や作為的に作られた時間や暦の理論について説明してきました。そして、拙者は、皆さんに気づいて欲しいことが一つだけあるのです。それは、人類はこのような、ある種、人工的に作った時間を用いて社会生活を維持しようとしたり、時間を基準とする物理量にあらゆる営みを依存させることで、安定化を目指してきました。しかし、人類というものは維持や安定を目指した高度な文明形成とは裏腹に自ら作った法則や規律、理論に雁字搦(がんじがら)めに拘束され、正に本末転倒の可笑しな事態を招いていると感じるのです。便利な社会を作ろうと高度な文明を標榜し、宇宙に規律を求めたり、預測方法を編み出したり、どんな事象をも法則化しようと考えてきました。しかし、それらは恰(あたか)も自分が捕えられる籠を編む鳥のようにも見えるのです。もしかしたら、これは人類の本能行動なのかもしれません。

 そして、このことは昔に限った話ではなく、現代社会においても当てはまります。いや、むしろ現代の方がこの籠に依存する人が多いように思えてならないのです。
 あなたは「腕時計を買ったら便利だろうなぁ」と思って腕時計を手にすることでしょう。しかし、腕時計を身に付けた日から、次第に腕時計が無いと時間の感覚がわからなくなっていくことでしょう。それは時間の感覚を腕時計という外のルールに受け負わせているからで、同時に自らを腕時計の魔力の支配下に置いてしまうのです。人工物にこそ、魔力が潜むと言う好例です。但し、こうしたルールづくりを駆動する人類の本能的な行動は、実は全て「未来を預測したい」という暦を作る動機と全く同じスタンスにあることがわかります。

 時間の魔力に憑りつかれた人類は、その魔力を使って安定を図り、また未来を預測したいと欲する。そして、その欲求こそが暦という膨大な体系を作る原動力になっていたとも考えられるのです。人類の営みは人類の意識が変わらない限り、同じことを繰り返すことになるでしょう。しかし、如何に文明が高度に発達しようとも、人類の意識はほとんど変わらないようにも思えます。つまり、これが歴史が繰り返すという所以です。だからこそ、人類は、暦を創り続けられるのでしょうし、どこまでも時間に依存し、無限に無くなることはなく、そして永遠に時間の魔力を解くことはできないのでしょう。

 これまで拙者は、時間について科学的、技術的な側面から考えてきましたが、古代中国の哲学思想についても説明していこうと考えています。それは、古代人類がどのように時間を捉えて、時間を自分のものにしようとしたかを探る上で認識のベースとなるものです。

 古代暦法の源流とも言える宇宙観に話題を移したいと思います。

青川素丸 表参道の父

東京 青山・表参道の発祥! 易学中興の祖! 【青川素丸】 数十年の研究を経て驚くほどの的中率に 易学を蘇らせた! 未来を預測する有名占い師!! 【表参道の父】 青川素丸 AOKAWA SUMARU 音声SNS「clubhouse」の占い部門で世界最大の 「占いCLUB」創設者