太陰太陽暦とは?

 太陰太陽暦は月と太陽の両方の周期に基づいて作られた暦と言えますが、原理はそう単純でもありません。ここでは太陽と月、天体の周期から太陰太陽暦が完成するに至った古人のアイデアを順にたどり説明していきましょう。

 太陰暦は月の朔望(盈虚・位相)を根拠としているため、四季の変化とは全く関係がありませんでした。月の朔望は昔から宗教的な意味が込められ、日本でも天皇交代は、朔の時に行われることが多かったようです。しかし、文明が進み、農業を基盤とする社会に移行すると、種蒔きや収穫の時を知るため、太陽と連動した季節の概念も重要となります。つまり、月と太陽の両方ともが重要になってきた訳です。しかし、暦法の上では、一朔望月(約29.53日)を12倍しても一太陽年(約365.24日)にはなりません。月と太陽の周期は実に相性が悪く、端数処理が常に問題となるのです。ここから古人は月と太陽の周期を暦の中で一緒に表現する方法ははないものか、考え始めるのです。

(参考) 365.24日(/年)-(29.53日×12月)=10.88日の差

 まず最初に、古人は月と太陽の周期の差を閏月で調整しようとしました。先の計算によれば、一太陽年と12朔望月との差は10.88日ですから、仮に10.88日×3年=32.64日となって、3年おきに閏月(うるうづき)を一回設けて13ヶ月とすれば、多少その差を補えると考えます。これが、月と太陽の周期を融合させた最初の手法(太陰太陽暦の始まり)となりました。次に、中国で「章法」という暦法が編み出されます。これは、19太陽年を「一章」とし、この「一章」と235朔望月とが非常に近似していることを利用した暦法となります。詳しく述べると、

 19年×365.24日-235朔望月×29.53日=-0.09日

 と僅差(きんさ)になるのです。

さらに、235朔望月÷12ヶ月=19年余り7朔望月ですから、19年(=一章)の間に、7回ほど閏月を設けると、月と太陽の両方の周期を取り込めた暦として完成するのです。(驚くことに、この章法は6世紀半ば百済から日本へ暦(中国の元嘉暦(げんかれき))が伝えられた時、既に暦の中に取り入れられていました。これが日本の旧暦(太陰太陽暦)となるのです。(詳しくは次記事も参照)

 ところが未だ問題は残ります。たとえ周期が近似したとしても、季節感とズレが生じてしまうのです。繰り返しますが、12朔望月を一年とすると354.43日となって、1太陽年との間に10.88日ずつズレが生じます。植物相手の農業では、太陽に基づく季節変化が非常に重要で、こうした季節との整合性も暦の要素として必須となるのです。そこで、編み出されたのが「二十四節気」という概念でした。二十四節気は、太陽周期の一年を24分割した時間区分で、農業だけでなく、今が一年という時間軸上のどこに位置するかを示す暦としても定着しています。二十四節気は古く紀元前6世紀頃に既に中国で成立していました。勿論、二十四節気は起源となる黄河流域の漢民族の季節感を反映したものとされ、元来日本の風土とは似ていても元々は無関係であることを認識しておくべきです。


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